【上り】竈門炭治郎(CV.花江夏樹)
本日は、眉山ロープウェイをご利用いただき、誠にありがとうございます。本日の案内を担当させていただく竈門炭治郎(かまど たんじろう)です。
これよりロープウェイは標高290メートルの眉山頂上までご案内いたします。
俺が住んでいた山とどっちのほうが高いんだろう。
このロープウェイの総延長は787メートル。最大勾配はおよそ30度。
皆様が乗られているゴンドラは総アルミ合金製になっています。
頑丈だな。まるで砂霧山の岩みたいだ。
さて、この山は眉(まゆ)の山と書いて「眉山(びざん)」といいます。
これは万葉の歌人「船王(ふなのおおきみ)」が西方はるかの海上に見える山を眺め”眉のごと 雲居 に見ゆる阿波の山 懸けて漕ぐ舟 泊り知らずも”と詠まれた歌に由来していると伝えられていて、四季折々に桜や紅葉など市民に親しまれている徳島市の象徴ともいうべき山です。
山頂の広場には国文学者、故「犬養 孝(いぬかい たかし)」氏による筆文字で、徳島名産の青石に彫られたこの歌碑も置かれています。
街の方を見てみましょう。
左側に見えているのは吉野川(よしのがわ)。日本三大暴れ川のひとつで、四国三郎(しこくさぶろう)とも呼ばれています。
吉野川が流れ込む目の前に広がる海は紀伊水道で、眺望のいい日には紀伊半島の山、また左前方に淡路島と鳴門の間に架かる全長1629メートルの大鳴門橋(おおなるときょう)を見ることができるそうです。
また、淡路島と明石の間は明石海峡大橋でつながり陸続きになっています。
その大鳴門橋の下には瀬戸内海と紀伊水道の海水の干満によって落差が生じ、凄まじい潮流となってできる鳴門海峡の渦潮を見ることができます。
まるで大きな水の呼吸。
そういえば鱗滝さんには何度も水の中に突き落とされたっけ。懐かしいなぁ。
そして山頂からは、徳島市内が大パノラマでほぼ一望できます。
夜景も素晴らしく、日本の夜景百選にも選ばれているそうです。
いつか禰豆子にもこの景色を見せてやりたいなぁ。
さて、間もなく山頂駅に到着します。
お帰りの際はお忘れ物などございませんようご注意ください。
ご案内は、竈門炭治郎でした。
【下り】冨岡義勇(CV.櫻井孝宏)
本日は、眉山ロープウェイをご利用いただき誠に感謝する。今回案内を務めさせていただく、鬼殺隊冨岡義勇(とみおか ぎゆう)だ。
これよりロープウェイは、阿波踊り会館五階の山麓駅まで下っていく。
皆の目の前に広がる街、徳島市は1889年、明治22年に市制がしかれ、当時の人口はおよそ6万人。全国で10番目の大都市だった。
今ほぼ中央に見える山が城山(しろやま)。1585年、天正13年、蜂須賀家政公が藩主として入国してからおよそ300年間、阿波、淡路の2カ国を統治し、行政の中枢となった徳島城が築かれた山だ。
現在天守閣はないが、鷲の門が復元されている。
石垣と堀、徳島城表御殿庭園が当時の姿を残している。
庭園に隣接した書院造の建物が徳島城博物館で、徳島藩と蜂須賀家に関する資料が展示されているな。
城山と眉山の間、徳島市内の中心を流れているのが新町川(しんまちがわ)。かつて徳島藩を支えた阿波藍の集積地で、川岸には白壁造の藍蔵が立ち並んでいた。
現在、新町川一帯は水際公園と呼ばれ、昼間は催し物、夜は観光に訪れる人の憩いの場となっている。
また、この城山一帯の中州はひょうたん型をしているため、ひょうたん島と呼ばれ、新町川、助任川などを周遊船で回ることができる。
徳島市は川がたくさんあり、水の都「水都徳島」として商いをしているという。
さて、毎年8月12日から15日までの4日間、徳島市内中心部一帯で「阿波踊り」が開催される。
二拍子の熱気あふれる阿波踊り、機会があればその本場の熱量を体感してみるのもいいだろう。
間もなく山麓駅に到着する。
お降りの際は忘れ物などないよう、くれぐれも注意することだ。
以上、鬼殺隊冨岡義勇。
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