新海誠監督による新作長編アニメーション映画『天気の子』の公開から約10日が経過しました。
前回は映画を鑑賞しての感想を簡単に書きましたが、今回は映画版と小説版を合わせて『天気の子』の個人的名言&名シーンを挙げていこうと思います。
解釈は人それぞれで正解はないと思いますが、自分なりに感じたことも一言ずつ記しています。
ネタバレが多数含まれているため、まだ作品をご覧になっていない方はご注意ください。
個人的名言&名シーン
あの夏の出来事をまるごと抱えたまま、僕はもう一度東京に行くのだ。十八になった今、今度こそあの町に住むために。もう一度あの人に会うために。
小説版『天気の子』の冒頭は、現在から過去を振り返る形式になっています。
これは使い古された技法ではありますが、『ファイナルファンタジーX』を筆頭に僕の好きな作品でよく使われているので、個人的には好きな語り口です。
新海監督が小説を書く上で重要視しているのは【比喩表現】です。
この文章の後にも「どんなに強くつむっても完全な闇には出来ない瞼のように。どんなに静めても片時も沈黙できない心のように」と続いています。
やや過剰だと思う部分もありますが、その時のキャラクターの心情や背景をより深く伝えたいという監督の思いが感じられます。
世界より一人の少女を選択した理由、”帆高の考える世界の中には陽菜が必要不可欠な存在だった”ということがこの文章からよく分かります。
©2019「天気の子」製作委員会
小さな病室で、ただひたすらに大切な人の回復を祈る少女。
引き寄せられるように辿り着いた廃ビルの屋上にあった小さな鳥居で、強く強く願ったことが全ての始まりでした。
©2019「天気の子」製作委員会
この場面では、足元に精霊馬が置かれていましたが、都会の子供たちには馴染みの薄いものかもしれませんね。
キュウリは馬に見立てられ”あの世から早く家に戻ってくる”ことを、ナスは牛に見立てられ”この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなる”ことなどを願って供えられます。
僕の家では毎年お盆の期間、この精霊馬を供えることになっています。
「東京の空の上で僕たちは──」
最初に見たとき、”街の上”でもなく”空”でもなく”空の上”という表現が非常に気になりました。
その意味は後に明らかになりますが、強いインパクトを与える言葉選びだと感じました。
©2019「天気の子」製作委員会
本当に同じ日本なのかと疑問に思うほど、東京と地方には大きな違いがありますよね。
僕も数年に一度東京に行くのですが、その度に東京って怖いなと感じてしまいます。
人口数千人の神津島からやってきた帆高にとって、東京のすべてが衝撃的だったに違いありません。
主人公・帆高とヒロイン・陽菜の出会いのシーンです。
陽菜が三日連続でポタージュスープだけを飲んでいた帆高にビッグマックをあげます。
帆高が家出のために用意できたお金は五万円。家計簿代わりのノートを見ると、節約の余地が十分にありそうですが(笑)
©2019「天気の子」製作委員会
僕の十六年の人生でこれが間違いなくだんとつで──一番美味しい夕食だった。
その後に続くこの文章からは、粗末なものばかり食べていた帆高にとって、陽菜がくれたビッグマックがどれほど美味しく感じられたのかが伝わってきます。
東京の小学生ってこんな感じなんですか(驚愕)「大人っぽいね、”中学生みたいだ”」!?
振り返ってみるとやっぱりセンパイってすごい。
©2019「天気の子」製作委員会
最近のアニメ映画は話題性重視で、プロの声優以外をメインに据えることが多いですよね。それによって作品自体がぶち壊しになることもあります。
『天気の子』の予告を初めて見たときには、本田翼さんの演技に困惑したものです。しかし、いざ作品を見ると、本田さんが夏美というキャラクターをしっかりと演じ切っていることに感心しました。
作品に集中するためにプロの声優を起用してほしいという思いもあるのですが、最近はプロの声優でも首をかしげたくなるような演技をしている人も多いので、なんとも言えないところです。
最近のプロ声優の演技は平均点は高いけれど、判子で押したようなオーバーなテンプレ演技には疑問を感じます。そういえば、プロ声優でなくても「もののけ姫」の俳優さんたちは”凄み”がありましたね(特に美輪明宏さんの演技は凄かった)。
©2019「天気の子」製作委員会
須賀圭介の会社、㈲K&Aプランニングの業態は「編集プロダクション」です。
出版社や広告代理店などから委託される書籍や雑誌などの編集実務が主な仕事となっています。例として月刊オカルト情報誌の「ムー」が挙げられていましたが、その他にもさまざまな出版社に企画を持ち込んでいるようです。
ただ、夏美も「弊社最近ヒマだし」と言っていたように、仕事がかなり減っている状況のようです。
数社に企画をプレゼンしたものの、通ったのは「四十代記者が体当たり取材!精力剤総力レポート」だけだったようです(体壊しそう…)。
K&Aプランニングのインターンとして、ネットで噂の『100%の晴れ女』の取材のために占い師(CV:野沢雅子)を訪ねた帆高。
重要でない役にこの大御所を起用するはずがないと、映画を見ていた誰もが思っていました。そして、野沢さんは皆の予想通り、物語の重要な部分を語ってお役御免となりました(笑)
占い師の話を原稿にまとめている最中の帆高に対する須賀のセリフです。
文句を言いつつも、良いところは認められる須賀の性格と、帆高の意外な特技が分かるシーンです。
帆高は中学の頃から小説のような文章を書くことが好きで、文章力にささやかな自信を持っていたようですね。
映画で『100%の晴れ女』の取材をしている時に、気難しそうな研究員が最初は面倒くさそうな対応をしていたのに、突然饒舌に話し始めるシーンが印象的でした。
あれはマニア特有の行動ではなく(一部はそうかもしれないけど)聞き手の夏美の性質によるものだったのです。
夏美みたいな人ってたまにいるけど本当にすごいなって思います。
須賀や夏美に叱られてもなぜ辛くないのかを考えていた帆高が出した結論です。
最近は、このように良い意図を持って叱ることができる人も、そしてその意図を帆高のように理解できる人も減っているように感じます。
伝えられないし、伝わらない…嫌な時代になってしまいましたね。
映画では夏美の内面についてほとんど触れられていませんが、小説では夏美視点で語られている部分もかなりあり、彼女の思考がよく分かります。
夏美は現在の”子供ではなく大人でもない”モラトリアムから脱却するきっかけを、ずっと探し求めていたのでしょうね。
©2019「天気の子」製作委員会
「信じられない。気持ち悪い。最悪!」
銃を人に向けて撃った帆高を責め、吐き捨てるように罵って部屋を出ていく陽菜。
しかし、自らの過ちに気づきその場にうずくまる帆高の前に、陽菜が再び姿を現します。
「君、家出少年でしょ?」
「あ、うん、まあ……」
「ね、せっかく東京に来たのに、ずっと雨だね」
陽菜は帆高を連れてビルの屋上に上がると、両手を組んで祈り始めます。「晴れ女……?」帆高が陽菜の不思議な力を初めて目の当たりにした瞬間でした。
須賀の会社で「お天気ビジネス」のサイト作成をしていた帆高の耳に入ったニュースです。
連続降水日数が2ヵ月以上というのは、東京の連続降水最長記録を軽く更新していますね。
現実の東京における連続降水最長記録は、1954年6月19日から7月20日までの32日間です。また、青森では2004年11月23日から2005年4月1日までの130日間という記録もあるそうです。
ロマンをお金に変えようと考える帆高に対して、夏美が言い放った言葉です。
今作は企業PRが非常に多く、個人的にはちょっと引いてしまいました。少しならまったく問題ないと思うのですが…。
宮崎駿さんなら「こんな作品作りをしなければいけないのなら辞める!」と言ってブチ切れそうですけどね(笑)
今後のアニメがこのように企業のPRまみれになっていくのだとしたら、僕は絶対に嫌ですね。
肯定でも否定でもなく、ただ微笑みを浮かべながら帆高の話を聞く陽菜。
こういう風に話を聞ける子供って、なかなかいないですよね。陽菜が年齢以上に落ち着いているということが分かるシーンだったと思います。
帆高は陽菜に家出の理由を聞かれた際、地元や親が息苦しかったと答えています。そしてその質問の後しばらくしてから「──ね、東京に来て、どう?」と尋ねられた時、帆高はこう答えました。
後に帆高が過去を振り返る場面があるのですが、東京に来ることができたから息苦しさがなくなったわけではなく、陽菜に出会うことができて、陽菜から大切なものをもらったからだと結論付けています。
©2019「天気の子」製作委員会
お土産に持ってきたポテトチップスとチキンラーメンを使って、陽菜が作った豆苗ポテチャーハンとばりばり食感チキンサラダを食べた帆高の感想です。
これ、実際に食べてみるとそこまで美味しくはないと思うんです(笑)
でも、好きな子が作ってくれた料理なら、たとえ焦げ焦げのチャーハンでも美味しく感じるもの。男なんてそんなものですよね。
ブログ仲間セシ子さんのイラスト
「お天気ビジネス」の初仕事でフリマ会場を晴れにして二万円をゲットした時の、帆高・陽菜・凪の嬉しさが全開で伝わってくる爽快なシーンでしたね。
陽菜のおかげで晴れになったかどうかも定かではないのに、ポンっと二万円を渡せるおっさんの器の大きさには感服しました(笑)
三人で始めた「お天気ビジネス」には、依頼者がポツポツと現れ始めます。
値段設定は一応3400円ですが、人によってアバウトなようで、たくさんくれる人も結構いるみたいですね(コスプレイヤーさんや競馬好きのおっちゃんは結構くれたのかな)。
そんな中、港区立の幼稚園児・N菜ちゃん四歳から、運動会で外でかけっこがしたいという依頼が届きました。
三人がお金よりも”幸せファースト”な姿勢を示しているので、個人的に好きなエピソードの一つです。
「だから、ありがとう、帆高」
神宮外苑花火大会での仕事を終え、六本木ヒルズの屋上で花火を見ながら陽菜が呟いた言葉です。
人を幸せにしてお金ももらえる仕事って、本当に素敵だと思います。
このシーンで「なくも」を連発する陽菜と、それに真面目につっこむ帆高の姿がほほえましかったです。
最近は何でも主人公の言いなりになる受動的な(奴隷みたいな)ヒロインが増えてきていますが、僕は陽菜のように能動的なヒロインが好きですね。
心を”動かされてしまう”という表現から、帆高の心の動きがよく伝わってくるシーンだと思います。
前作『君の名は。』の主人公・立花瀧の登場シーンです。
小説が発売日の7月18日に届かなかったため、僕は先に映画を見ましたが、このシーンでは驚きと嬉しさが同居した気持ちになりました。
アニメやゲームで前作のキャラクターを登場させると、やはり盛り上がるものですよね(コナミの幻想水滸伝シリーズなど)。空前の大ヒット作となった『君の名は。』をしっかりと組み込むあたりは、さすが抜け目ない新海監督といったところでしょうか。
ちなみに、迎え盆とはお盆の最初の日(13日)に先祖の霊が迷わずに家に戻ってこられるように火を焚く行事のことです。
一方、送り盆はお盆の最終日(15日)に行われ、先祖が迷わずに極楽に帰れるように火を焚きます。
地球が誕生したのは今から約46億年前のことで、日本列島がほぼ現在に近い地形になったのは約2万年前のことです。
そう考えると、神主さんの言う通り、人間の悩みなどは小さなことのように思えてきますね。
©2019「天気の子」製作委員会
いろいろなことを教えてあげることで、帆高から「凪センパイって呼んでいいですか?」と言われるほどの尊敬を勝ち取った凪。
凪は人のことをよく見ていて優しく、自己分析も完璧な”大人”です。
現実にはこういう小学生は絶対にいないんだろうけど、本当に魅力的なキャラクターですね。
前作『君の名は。』のヒロイン・宮水三葉の登場シーンです。
四千円という限られた予算の中で、どの指輪を買うべきか迷う帆高に、三葉は三時間以上も付き合ってくれました。彼女の優しい声と素敵な笑顔が印象的でした。
私は喘息ではないので分かりませんが、台風や雨の日は気圧が変化するため、発作が起こりやすくなるそうですね。
この時点で須賀の娘・萌花を預かっているのは、妻・明日花の実家である間宮家でした。しかし、須賀の生活状況を不安に思っていた間宮家は、萌花と須賀を会わせることを快く思っていませんでした。
面談を求める須賀に対し、間宮家は「こんな天気にあの子を外出させて、喘息が酷くなったらどうするの?」と返します。これが、須賀が晴れ女に依頼をした理由なのです。
須賀は容姿も悪くなく、実は仕事もかなりできる人物です。それでも亡くなった妻のことを一途に思い続けているようです。
過去が幸せであればあるほど、前に進むことが難しくなるものですね。
母を失い小学生の弟と二人きりで生活している陽菜だからこその言葉ですね。
一般の子供が考える「早く大人になりたい」という意味とは異なります。
モラトリアムの最中にある夏美にとっては、耳が痛い言葉だったことでしょう。
凪センパイのアシストもあって、陽菜を送っていくことになった帆高。
「ヤバい、ヤバい──」という言葉が三度繰り返されますが、思春期の頃に初めて好きな女の子と二人きりになった男の子の気持ちを上手く表現しているなと感じました。
帆高が警察に追われていることを知り、家に帰るよう促す須賀の言葉。まるで自分に言い聞かせるような一言でしたね。
今まで帆高のことを名前で呼んでいたのに、このシーンでは終始「お前」と呼んでいたのが印象的でした。
凪は陽菜が自分のために多くのことをしてくれているのをしっかり解っています。
このセリフからは、凪の純粋さや優しさと同時に、陽菜の凪への深い愛情がよく伝わってくると思いました。
僕は須賀のこのセリフから2つの意味を読み取りました。
1つ目は、セリフの通り”歳を重ねると頭が固くなり、柔軟に物事を考えられなくなる”という意味です。
そしてもう1つは、輝かしい過去の思い出が絶対的な上位に位置づけられているために、現在を大切にできなくなるという意味かもしれません。
一見浅いようで、実は深いセリフだと感じました。
いくら綺麗事を言っても、この世の中は須賀の言うとおり、搾取する側とされる側に分かれているのは事実です。
それで社会が回っていくと言い切るのは問題があるかもしれませんが、”楽をして稼ぎたい”とか”自分以下を求める心”がある限り、この構図は永遠に変わらないでしょうね。
完全な共産主義って不可能なんですかねえ。
東京のラブホテルってこんなに高いんですね(イメージの3倍くらい?)。
田舎者なんでとても驚きました。
このセリフは、僕にとっても作中で一、二を争うほど印象的な言葉です。
表面的な意味合いも読み取れますが、僕はこの言葉には、最高に幸せで”時間が止まればいいのに”と思うのとは異なる、別の想いも込められていると感じました。
満ち足りてはいないし、辛く悲しいこともたくさんあるけれど、この先大切なものを失うくらいなら今のままで十分だという思いが溢れていると感じました。
僕自身も同じような願いを抱いたことがあります。一緒に歩けなくても、話せなくても、ただ傍にいられるだけで、それだけで十分だと。帆高の気持ちが僕にはよく分かります。
最後の夜、帆高に誕生日を祝われたときの陽菜のセリフ。
陽菜の意図が分からなかった帆高はこのとき「──うん」と答えた事を後悔します。これは仕方がない。
©2019「天気の子」製作委員会
体が透明になった陽菜に「どこ見てんのよ?」と尋ねられた帆高が答えた言葉です。
「どこも見て──」からのセリフなので、新海監督の意図はなんとなく分かります。言葉のチョイスが上手いなと思いました。
「……どうして君が泣くかな」と陽菜さんは言いますけど、これは泣いてしまうでしょ普通。
©2019「天気の子」製作委員会
神津島で父親に殴られたあの日、帆高の東京への憧れはより一層強くなったのでしょう。
その”果て”という言葉選びに、まだまだ先があるにもかかわらず、今という時が全てだと考える”若さ”を感じます。とても素敵な文章だと思います。
刑事から陽菜の本当の年齢を聞いた時、帆高が思わず漏らした言葉です。
帆高はこれまで、陽菜が一番年上だと思っていたので、頼る部分があったのだと思います。
しかし、陽菜の方が実は年下だったことを知り、自分が守られる側ではなく、陽菜や凪を守らなければならない立場だったことに気づいたのでしょう。
そのことに強烈な情けなさを感じたのではないでしょうか。
逃走した帆高の足取りを追うために、中年刑事の安井が須賀を訪ねたシーンですね。短い会話の最後に、須賀の頬をつたう涙が印象的でした。
安井の話から、帆高が全てを犠牲にしてでも陽菜を助けようとしていることを知った須賀は、事故で亡くした妻の明日花と娘の萌花との幸せだった過去を思い出します。
そして、自分と帆高を重ね合わせ、帆高のように全てを放り投げてまで会いたい人、全てを敵に回してでも会いたい誰かが自分にいるのかと自問するのでした。
もし、もう一度明日花に会えるとしたら、自分もきっと──
そのような感情が涙となって溢れ出したのだと思います。
帆高をカブの後ろに乗せて廃ビルを目指す夏美でしたが、水没した道路によって行く手を阻まれます。
無理に進もうとするものの、カブは沈んでしまい、夏美は「──ここまでだ!」と言って帆高を先に行かせるシーンですね。
その後の「遠ざかっていく思春期に背中を向けて──」などの文章から、この瞬間に夏美のモラトリアムからの脱却が完了したのかもしれません。
©2019「天気の子」製作委員会
最後の夜、陽菜に「ねえ、帆高はさ、この雨が止んでほしいって思う?」と尋ねられた時に「君さえいればそれでいい」と答えられなかった自分を悔いる帆高。
もう何もかも手遅れかもしれないけれどそれでも──
映画で帆高が延々と走るシーンは表情、走り方、演出の全てが一生懸命な感じで良かったです。
屋上を目指す帆高の前に現れた須賀。
「このまま逃げ続けたら、もう取り返しがつかなくなるぜ? そのくらい分かるだろう?」という須賀のセリフを聞いた帆高の心の声です。
須賀のことを尊敬していたのに、陽菜のことだって知っているのに…陽菜のことしか見えていない帆高がこう思うのも無理はないですね。
銃で威嚇する帆高を大人たちが取り囲むシーン。もう一度陽菜に会いたいという気持ちが強く伝わってきましたね。
その後、刑事に捕まった帆高を助けようとした須賀のセリフも印象に残っています。
「てめえらが──帆高に触んな!」
鳥居をくぐり彼岸に着いた帆高は陽菜の名前を懸命に呼びます。
「陽菜さん」→「陽菜」に呼び方が変わった時は感動しました。名前を呼び合う少年少女、”若さ”っていいですね。
「青空よりも、俺は陽菜がいい!」
「天気なんて──狂ったままでいいんだ!」
ブログ仲間セシ子さんのイラスト
一緒に帰ろうと言う帆高に陽菜は「私が戻ったら、また天気が…」と迷った表情を見せます。
帆高の心はここに来るまでに、陽菜を助けたいと思った時に既に決まっていました。ストレートで力強い告白でしたね。
ブログ仲間セシ子さんのイラスト
これが帆高が天気よりも陽菜を選んだ結果です。
止まない雨によってレインボーブリッジやたくさんのビルが水に沈み、東京都の面積の1/3が水没することになりました。
もしかしたらたくさんの人が亡くなったかもしれないし、農家さん等、天候によって左右される職業についている人は大変な目にあっているかもしれない。それが”選ぶ”という事なんでしょう。
少年鑑別所から解放された帆高を不器用ながらも迎え入れてくれた学校や両親。
当たり前の事ではあるものの、自分で気づく事が重要ですね。少し大人になったな帆高。
帆高と立花冨美さんの会話です。
東京の大部分は水没してしまったけれど、そこは元々(江戸時代くらいまで)海だったのだから、ただ元の姿に戻っただけだと冨美さんは言います。
自分の家が水に沈んでしまったにもかかわらず、そのように捉えられるのは、これまでの豊富な経験があるからこそでしょう。やっぱりお年寄りってすごい。
冨美さんの家に飾られていた集合写真や結婚写真も印象的でしたね。
僕は内向的な人間なんで心にくるものがありました。新海監督はそういう風に考えて作品をつくっているのでしょうか、それとも自分に対しての皮肉なんでしょうか。
これを見てすぐに思い出したのは、宮崎駿さんの「日本のアニメーションはね。観察によって基づいてない。ほとんど。人間観察が嫌いな人間がやってんだよ。だからオタクの巣になるんだよ」という言葉。
本当にその通りだと思います。
ブログ仲間セシ子さんのイラスト
映画館で笑いがたくさんあがっていたのがアメの巨大化(笑)
小説では15キロくらいあるって書いてたけど、15キロの猫ってほとんどいないですよ。イエネコの中でも大きな品種といわれているメインクーンでも平均10キロいかないくらいなんで。
アメでかすぎ。
世界は元々不合理で不条理で理不尽なもの、帆高や陽菜によってそうなったわけではないという、須賀なりの励まし、慰めといったところでしょうか。
どこかで見たことがありそうな言葉ではありますが、なぜか心に残るセリフでしたね。
ラストシーンの演出に二ヵ月以上悩み続けた新海監督が”ぜんぶここに書いてあるじゃないか”と感じたRADWIMPSの『大丈夫』。
その歌の歌詞から引き写すように書いたのがこのラストシーンだったようです。
僕は映画館で初めて『天気の子』を見た時、ラストシーンだけが少し浮いていると感じました。その時はラストが最後までバシッと決まらなかったのかなと思っていましたが、小説のあとがきを見てなるほどなと。
野田洋次郎さんが新海監督を信頼しているように、新海監督も野田さんを信頼しているんでしょうね。同性にそんな風に思われるのは素敵な事だと思います。
以上、他にもまだまだ印象的なセリフやシーンはありましたが、疲れ果ててしまったのでここまでに。
『天気の子』は神作とまではいかないけれど良作ではあると思うので、まだ見ていない人は是非映画館に足を運んでみてください。映像美だけでも見る価値はあると思います。
それから、映像だけでは表しにくいキャラクターの心情などは小説版にわりと丁寧に描かれています。映画を見てもう少し深く作品を知りたいと思った人は小説も読んでみてくださいね。600円ちょっとと安めの価格設定なので買いやすいと思います。
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